◆第76回(「失敗を許す」とは何を許すことなのか ― 心理的安全性の誤解を解く)

1. はじめに
DXの文脈で、ここ数年よく聞く言葉があります。
- 「失敗を恐れず挑戦しよう」
- 「心理的安全性を高めよう」
- 「失敗を許容する文化が必要だ」
どれも正しい。
しかし現場では、こんな違和感も同時に生まれています。
- 「失敗していいと言われるけど、実際は評価が下がる」
- 「どこまでが“許される失敗”なのか分からない」
- 「結局、無難なことしかやらなくなった」
なぜでしょうか。
それは、多くの組織で「失敗を許す」という言葉の意味が、曖昧なまま使われている からです。
2. 心理的安全性は「何でもOK」ではない
まず、はっきりさせておきたいことがあります。
- 心理的安全性とは、「何をしても怒られない状態」ではありません。
本来の心理的安全性とは、
- 意見を言っても否定されない
- 問題を指摘しても不利益を被らない
- 分からないと言っても責められない
という状態です。
つまり、
- 発言や挑戦の“入口”が守られている状態
です。
成果や責任が問われなくなる、という意味ではありません。

3. なぜ「失敗を許す」が組織を壊すのか
「失敗を許す」という言葉が、逆に組織を壊してしまうケースがあります。
例えば、
- 振り返りが行われない
- 同じ失敗が繰り返される
- 誰も学びを言語化しない
この状態で「失敗を許す」を続けると、
- 挑戦ではなく、放置が増える
という事態になります。
これは、心理的安全性ではなく、心理的放任です。

4. 学習を生む失敗/学習を殺す失敗
DXに必要なのは、「失敗を減らすこと」ではありません。
- 学習を生む失敗を増やすこと
です。

両者の違いは明確です。
学習を生む失敗
- 仮説が明確
- 試した理由が説明できる
- 振り返りが行われる
- 次の行動につながる
学習を殺す失敗
- 何となくやった
- 目的が曖昧
- 振り返られない
- 責任の押し付け合いで終わる
許すべきなのは、前者の失敗です。

5. 失敗を「個人の問題」にしない
DXが進まない組織ほど、失敗が起きた瞬間、こうなります。
- 誰が悪いのか
- 判断したのは誰か
- なぜ確認しなかったのか
つまり、
- 失敗を“個人の問題”に回収する
のです。
これでは、人は挑戦しません。

DXで必要なのは、
- 失敗を“組織の学習材料”として扱うこと
です。
- 何を前提に判断したのか
- どこで前提が崩れたのか
- 次は何を変えるのか
この問いを、個人攻撃ではなく、構造の問題として扱えるかどうか。
ここが分かれ目です。

6. 「守られる一線」を明確にする
失敗を許すために、実はとても重要なことがあります。
それは、
「どこまでは守られるのか」を明確にすることです。
- 仮説を立てて試した失敗
- 組織として合意した実験
- 事前に共有されたリスク
これらは守る。
一方で、
- 隠蔽
- 独断
- 学習放棄
これは許さない。
この線引きが曖昧だと、人は安心して動けません。

7. 経営と上司の役割
心理的安全性をつくるうえで、最も大きな影響を持つのは、制度でも研修でもありません。
- 上司と経営の振る舞い
です。
- 失敗の報告をどう受け止めるか
- 最初に何を問うか
- 誰を守り、誰を切るか
この一つ一つが、「この組織で、挑戦は安全か?」
という問いへの、答えそのものになります。

8. 失敗を許す組織は、問いを変えている
失敗を責める組織は、こう問います。
- 「なぜ失敗したのか」
学習する組織は、こう問います。
- 「何を前提に判断したのか」
- 「何が分かったのか」
- 「次はどう変えるのか」
問いが変わると、行動が変わります。
9. おわりに
「失敗を許す」とは、
- 結果を見逃すことではありません。
- 学ばないことを許さない、という覚悟です。
DXは、失敗をなくす活動ではありません。学習を増やす活動です。

次回は、「DXが定着する組織の『語り』は何が違うのか」 をテーマに、なぜ“語り方”が行動を変えるのかを掘り下げていきます。

